ホーム
>
2009年11月
My History 04
大学に入学と同時に、特になんの疑問もなく軽音楽部に入部したものの、大学が歯医者になるための大学だったということもあってか、クラブの音楽的レベルはそんなに高くなく、部活としてのバンド活動は適当に楽しみながらも、生意気盛りな年齢だったこともあり、どこか満足しきれない日々...。
まぁ、先輩たちのほとんどは演奏よりも打ち上げのためにライブやってるような感じだったしね。今も当時も酒の飲めない自分にとっては、打ち上げや宴会なんて苦痛以外の何者でもなかったのですよ...。英語圏の国のパーティーは好きだけど日本の宴会は雰囲気自体も好きじゃないし。
その頃、同じように不満を持っていた井上くん(ドラム)がある日、声をかけてくれた。
「先輩ら相手にしててもしゃーないし、お前、曲作れや。とりあえずドラムとキーボードでなんかやってみよ?」
お誘いはその場で快諾。どんな曲をやる?ってことになるわけですが、プログレっぽいロックでいこうということに。キーボードが活躍できるロックといえばプログレが筆頭だったし、井上くんはフュージョン好きのドラマーだったから、まぁ、これは自然な流れですね。
これが後のミレニアムの原型となるセッションでした。
このセッションのメンバーに同じ軽音楽部の先輩のギター、ベースが加わり、なんとかバンドの体裁が整う。(ちなみにこの時のベースが、アンジーさんのINTACTNESSでベースを弾いてもらっている斎賀さん。)
その後、いくつかの曲を作るうちに(理由は覚えてないけど)同じ軽音のメンバーでドラムとベースが交代し、いよいよシンガーが必要となった時に、「いずれにしても軽音の中で活動してたんじゃどうしようもない」ということで、シンガーを公募することになった。んで、それとともに活動が軽音の外に及ぶのはちょっと...という理由でベースも脱退。シンガーとベーシストを募集して集まったのが第一期ミレニアム。
Vo.秋田ひとみ
G. 益弘 均
B. 崩場 望
Ds.松田典子
結成後わりとすぐに、当時リハーサルに使っていたスタジオからオムニバスアルバムへの参加のオファーを受けて、そのスタジオで人生最初のレコーディング。楽器隊のバッキングをせーので一発録りして、歌とギターソロだけ後から録るという形。バッキングトラックはたぶんマルチで録ってなかったんじゃないかと思う...。
結局このバンドは、レコーディングで力尽きて、アルバムが出る頃には消滅。ボーカルと自分だけがバンドに残る形で他のメンバーを探すことになる。
ちなみにこの頃にボーカルの秋田さんを経由する形で金谷幸久氏と知り合い、スタジオで何度かセッションした記憶がある。
ちなみにオムニバス参加したアルバムは「THE ROCK BAND IN KYOTO」という、とてもイケてないタイトルのアナログレコードで、DreamingというNOVELA系(?)丸出しな感じのプログレっぽい曲を収録しました。このDreamingという曲、なぜか好評だったようで、その後のバンドでも何度も形を変えて演奏してますよ。
<当時の使用機材 1989年頃??>
Oberheim Matrix 6
Sequential Circuit Prophet-600
YAMAHA DX-7
KORG POLY-800
Roland S-10
...たぶん、それぐらいだったと思う??大学生になって資金の余裕ができたのか、けっこうゴージャスな感じですw
2009年11月30日 Kei Takahata
| 個別ページ
| トラックバック(0)
My History 03
さてさて、中学自体は当時のニューミュージックブームに乗るような形でテキトーにギターを弾きながら歌ったりはしていたものの、特に目立った音楽活動はせずに過ごし、今思えば人生の中で一番フツーの人っぽい生活をしていた時期なので割愛しますw
高校入学と同時に同じ高校の友達と最初のバンドを組むことになるのですが、その当時のパートはキーボードではなく、なんとシンガー!
当時ブームになりつつあった、いわゆる今で言うジャパメタバンド(ラウドネス、アースシェイカー等々...)のコピーバンドをやってました。シンガーとして高校の1年、2年と文化祭のステージに立ち、やっぱり自分には歌う才能はないな...と実感して、「このままじゃプロになれん!」ってことで鍵盤弾きに転向したのでした。。。あ、でも、何曲かは鍵盤を弾きながら歌ってた気もする...。
で、鍵盤弾きに転向はしても、やってる曲は当時のジャパメタのコピー。ご存知の方も多いかと思いますが、そういうバンドの曲には基本的にキーボードは入っていない。そんなわけでキーボードのパートはすべて自分でアレンジして作るという方向。(後に元NOVELAの永川さんが加入したアースシェイカーのライブを見たとき、自分でアレンジしたのとほとんど同じ感じのキーボードアレンジになってたのはちょっと嬉しかったw)
そんな感じでキーボードプレイヤーの第一歩を踏み出したこともあって、実はキーボードで誰かの曲をコピーしたという経験はほとんどありません。参考音源として鍵盤入りのロックはいろいろ聴いたけど、コピーはしなかったなぁ...。普通なら...ロックキーボードならDeep PurpleとかEL&Pとかコピーしまくるんでしょうけど、元々他人の曲をコピーすることにはあまり興味がなかったらしい...。
そんなこんなで高校卒業とほぼ同時に最初のオリジナル曲をやるバンドで、その後何年も続くことになるミレニアム結成の運びとなるのでした。
そのお話はまた次回に。
って、読んでる人、いるのか?これ??
<この頃の使用機材 1985年ぐらい>
KORG-POLY-800
YAMAHA DX-7
当時の定番って感じですが、高校生にしては少し贅沢な機材ですねぇ...。
写真はKORG POLY-800。持っていたのもこれと同じリバースカラーのやつでした。
***記事内容当時の写真とか載せたいのだけれど、なんせデジカメもない時代のこと。いくつか残ってる写真はあるけれどスキャンするのも面倒なので、しばらくは文字ばっかりのブログになるけれどごめんね。***
2009年11月27日 Kei Takahata
| 個別ページ
| トラックバック(0)
My History 02
前回 の続き。
そうやって初めて触れた歌謡曲(当時はまだJ-POPなんて呼び方は当然のごとくなく、テレビに出てくる歌手が歌うものはすべて歌謡曲と呼ばれてたと思う。)。その中でも一番衝撃を受けて、そして実は自分の原点にもなっているのがジュリーこと沢田研二。
とはいえ、別に音楽的に影響を受けたというよりも、とにかく派手な衣装に身を包んであの華やかな世界で生きてみたい...と強く思ったわけでした。
ちょっと余談になるけれど、そんなわけで、街中にいるような出立ちのままでステージに上がったりテレビに出たりするようなミュージシャンは今でも個人的には許せないものがあったりします。
で、そこから先はアリスやゴダイゴをはじめとするようなニューミュージック(この言い方も懐かしいねぇ...)やYMOにハマったりしながら、中学に上がる頃にはピアノのレッスンもやめてしまい、ギターを持つようになり...。まぁ、あの当時の音楽好きな子供の定番コースですね。そしてジュリーの次に衝撃を受けたのが、偶然に従兄弟が車の中でかけていたメジャーデビューしたばかりの頃のNOVELA!自分もバンドをやってみたい!と強く思うようになりつつも、まだ当時は中学生でバンドをやってる奴なんて自分の身の回りでは皆無の状態。最初のバンド結成は高校生になるまで持ち越されるのでした。。。
考えてみたら、あの時にNOVELAを聴いていなかったら、ずいぶんとその後の人生も変わってたかも。まさかあれから20数年後、自分がアンジーさんのプロデュースをすることになるなんて想像もつかなかったですねぇ...。
というわけで続きはまた次回に。
2009年11月17日 Kei Takahata
| 個別ページ
| トラックバック(0)
サプライズ!
つい先日、babywildcherryの単独音源を探してるんですけど...という問い合わせのメールをいただいた。活動を停止してからすでに数年。今でも聴きたいと思ってくれている方がいるっていうのはとてもありがたいことです。メールを読んで思わず嬉しくなってしまいました。
最近、下山アニキを始めとするプロデュースワークの方は充実してますが、やはり自分が表に出たいという気持ちがふつふつと強くなってきているのも事実。。時間と機会があればぜひまたやってみたいなぁ...。やるとしたらちょっとプログレテイストのハードポップ...babywildcherryよりは、その前のMILLENIUMに近いものになると思うけどね。
あ、でも、べびちぇりはクビになってたんだっけw
というわけで、babywildcherry唯一の公式音源「Public β」から2曲ご紹介。
2009年11月10日 Kei Takahata
| 個別ページ
| トラックバック(0)
JADESTER
いよいよ発売間近になったJADESTERの1st.アルバム「EGOIST」。
CM映像的なもの(?)をメンバーが制作したようなので紹介しておきますね。
自分としてもプロデュースにアレンジにキーボード、それからもちろん録音やミックスなどフル稼働で制作したかなりの自信作になってます!ぜひぜひお買い求めの上、聴いてみてくださいね。あ、そうそう、Shikiもコーラスで参加してますよ〜。
Become Zero JADESTER | MySpace Video
2009年11月 8日 Kei Takahata
| 個別ページ
| トラックバック(0)
My History 01
この9月でAQUA CUBEもおかげさまで4回目の決算を終えて、5年目を迎えます。ここまで本当にいろんな人たちに支えられてきたなぁ...などと思っていると、これまでにあった様々なことが思い出されてきたので、簡単に自分史的なものを書いてみることにしました。
何回かに分けて書いていくので、興味ある方は読んでみてください。
プロフィールのページ にも書いてますが、最初の音楽体験は小学校に上がる少し前にピアノを習い始めたこと。家には母が嫁入りの時にもってきたアップライトピアノがあり(これが実は今もAQUA CUBEのレコーディングブースに設置してあるピアノ!)、家事の合間などに母が弾くピアノを聴いているうちに自然に自分も弾いてみたくなって、自分から習いたいと親に申し出た。
そうやって自発的に習い始めたピアノだけれど、教えてもらった先生はとっても厳しい人で、泣きながらピアノに向かうことも少なくない毎日が待ち受けているとは...。まぁ、おかげでわりと短期間でピアノの腕は上達してきましたけどね。
そんな感じで小学校の低学年ごろまではクラシックピアノ漬けの日々を送ってたので、他のジャンルの音楽に興味がいくこともなく過ごしていたのですが、たぶん小学校4年生のころ、当時、世を席巻したピンクレディーブームは小学生にまで波及し、そこで初めて歌謡曲というものに出会うことに。
あまり長くなってもいけないので、とりあえず今回はここまで。
2009年11月 3日 Kei Takahata
| 個別ページ
| トラックバック(0)