大学に入学と同時に、特になんの疑問もなく軽音楽部に入部したものの、大学が歯医者になるための大学だったということもあってか、クラブの音楽的レベルはそんなに高くなく、部活としてのバンド活動は適当に楽しみながらも、生意気盛りな年齢だったこともあり、どこか満足しきれない日々...。
まぁ、先輩たちのほとんどは演奏よりも打ち上げのためにライブやってるような感じだったしね。今も当時も酒の飲めない自分にとっては、打ち上げや宴会なんて苦痛以外の何者でもなかったのですよ...。英語圏の国のパーティーは好きだけど日本の宴会は雰囲気自体も好きじゃないし。
その頃、同じように不満を持っていた井上くん(ドラム)がある日、声をかけてくれた。
「先輩ら相手にしててもしゃーないし、お前、曲作れや。とりあえずドラムとキーボードでなんかやってみよ?」
お誘いはその場で快諾。どんな曲をやる?ってことになるわけですが、プログレっぽいロックでいこうということに。キーボードが活躍できるロックといえばプログレが筆頭だったし、井上くんはフュージョン好きのドラマーだったから、まぁ、これは自然な流れですね。
これが後のミレニアムの原型となるセッションでした。
このセッションのメンバーに同じ軽音楽部の先輩のギター、ベースが加わり、なんとかバンドの体裁が整う。(ちなみにこの時のベースが、アンジーさんのINTACTNESSでベースを弾いてもらっている斎賀さん。)
その後、いくつかの曲を作るうちに(理由は覚えてないけど)同じ軽音のメンバーでドラムとベースが交代し、いよいよシンガーが必要となった時に、「いずれにしても軽音の中で活動してたんじゃどうしようもない」ということで、シンガーを公募することになった。んで、それとともに活動が軽音の外に及ぶのはちょっと...という理由でベースも脱退。シンガーとベーシストを募集して集まったのが第一期ミレニアム。
Vo.秋田ひとみ
G. 益弘 均
B. 崩場 望
Ds.松田典子
結成後わりとすぐに、当時リハーサルに使っていたスタジオからオムニバスアルバムへの参加のオファーを受けて、そのスタジオで人生最初のレコーディング。楽器隊のバッキングをせーので一発録りして、歌とギターソロだけ後から録るという形。バッキングトラックはたぶんマルチで録ってなかったんじゃないかと思う...。
結局このバンドは、レコーディングで力尽きて、アルバムが出る頃には消滅。ボーカルと自分だけがバンドに残る形で他のメンバーを探すことになる。
ちなみにこの頃にボーカルの秋田さんを経由する形で金谷幸久氏と知り合い、スタジオで何度かセッションした記憶がある。
ちなみにオムニバス参加したアルバムは「THE ROCK BAND IN KYOTO」という、とてもイケてないタイトルのアナログレコードで、DreamingというNOVELA系(?)丸出しな感じのプログレっぽい曲を収録しました。このDreamingという曲、なぜか好評だったようで、その後のバンドでも何度も形を変えて演奏してますよ。
<当時の使用機材 1989年頃??>
Oberheim Matrix 6
Sequential Circuit Prophet-600
YAMAHA DX-7
KORG POLY-800
Roland S-10
...たぶん、それぐらいだったと思う??大学生になって資金の余裕ができたのか、けっこうゴージャスな感じですw